今回のテーマは「数学は美しい?」。
「数学は美しい」と最近巷でもよく聞くようになりました。静かに数学ブームがきているようです。いいじゃないですか。
では人は何故数学を美しいと感じるのか。また数学好きは何故数学が好きなのか。僕もここで綺麗なものの一つとして数学を挙げているわけですから、このへんの前提をはっきりさせないと話も始りません。
数学はそもそも綺麗事を扱う学問です。理想的な状況を仮想し、その上にある命題達に正しい、正しくないというラベルを貼っていく。そしてそのラベルは決して剥がれることはない。
例えば現実世界であれば、ポケットにビスケットをいれて叩くと、一つが二つに、はたまた三つに、粉々に、そもそもポケットに穴があいていてビスケットと呼べるものは微塵もなくなってしまったり、謎のトランスフォームが起こっておにぎりに変わってしまったりしますが、数学では例えば「形が変化しないビスケット」を「中に入れたものはすべてそのまま保存するポケット」に入れた場合、「叩いてもビスケットの個数は変化しない」という絶対に覆らない事実を導くのです。
現実で様々なリスク管理をしているにも関わらず、ポケットの中のビスケットを割って二枚ないし粉々にしてしまいがちなこのカオスな世の中で、このすっきりとした真理が一点の曇りもなくそこに燦然と輝く様は、やっぱり美しいと感じざるを得ない。ですよね。
ビスケットを割ってしまうような我々人間は「そんな理論は何の役にも立たない。だってビスケットは割れるんだから」と言いますが、そんなことはお構いなしなところも孤高の存在のようでかっこいいじゃないですか。ちなみに「形が変化しないビスケット」を食べるのはかなり危険な行為だと言えるでしょう。
上にはさらっと、「ラベルは決して剥がれることはない」と書きましたが、ここには数学の論理的整合性が作用しています。実のところ現在の数学が矛盾を含むかどうかは証明できないというところで話がついているようですが、一応建前上数学は矛盾を含まない、ということになっているのです。これは数学特有の性質で、数学の数学たる所以であるともいえるでしょう。正しく証明された事実は絶対に否定されることがありません。僕自身これはパワーであると考えています。やっぱり強いものには憧れますもの、僕が数学を好きになった一因です。
などなど、書きやすいところから書きましたが、数学の最も本質的な美しさは、このように言葉であらわすことができるものではなく、神の悪戯としか思いようのないような美しい事実の数々。これに尽きると思います。「まさかそんなにうまく行くわけないやろー」と思うことがことごとく起こっていくのが数学のすごいところなのですよ。これは実際にかじってみないと実感できず、わかる人にしかわからないというのが残念です。
さて、ここまで読んでお気づきでしょうか。これらの発想が実に中二病的であるということに。そうなのです。数学の美しさとは中二病的な感性が引き起こすもので、いい年こいた大人が追いかけるようなものではないのです。SFに出てくる科学っぽい用語に心が躍る、すげー強くなりたい、もしくはすげー強いものにあやかりたい、現実?そんなの興味ないしとか言ったりしてクールな感じでありたい、そして俺がナンバー1だ!みたいな。そういう童心をくすぐるのが数学で、さらにそれをそのまま持ち続ける人が数学を追いかけるのです!
…というのはもちろん言い過ぎですが、あながち的は外していないように思うのですよ。どうですかね。高校の頃Galoisの生涯や業績を知っておっかけやってるミーハーがそのまま数学科に入るのはよくある話です。僕じゃないですよ。
Galoisだけじゃありません。そういう数学少年を刺激する言葉はいっぱいあります。Fermatの最終定理、謎の秘密結社ブルバキ、ゼータ函数、素数、不完全性定理、パラドックス、Q.E.D…。え?僕じゃないですよ。
そもそも「美しい」なんていう言葉が大仰で、それこそ中二病ぽいじゃないですか。僕は気恥ずかしくて「数学は美しい」なんてなかなか言えないです。
それで僕は、数学が繰り広げる絶景を眺めながら「綺麗やなぁ…」と呟く、そういうわけです。
逆に重症と言えます。

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